私は人生の決断に困ったときに自分で自分にタロットカードをやってます。
自分の意志で決めかねることも決断するための判断の材料になる気がするからです。
あるいはしいたけ占いなんかを毎週地味に楽しみにしてたりして、まあ信じるか信じないかで言えばゆるく占いを信じている方なんだと思います。
一方、占いが人の気持ちや将来の出来事をすべてを言い当てられるかというとそんなこともないとも思ってます。だからエンタメとして消費しているという感じです。
将来の出来事はある程度は予測できるけれども、予測不可能という法則自体も自然法則の中に織り込まれているので完璧な予測はできないと思ってるいった感じでしょうか。
これはどれくらい決定論というものを受け入れるのかという問題にもなっていくのかなと思います。
例えば、人間はいつかすべて死ぬので私もいつか死ぬというのは予測できる未来です。
一方、だから悲観して生きていくのか、あるいはだからこそ楽しんで生きていくのかは自分たちで決定していくし、予測不可能な要素になってきます。
すべての粒子の位置や運動量、物質や運動量がわかれば未来はすべて予測できるという考え方があるそうで(ラプラスの悪魔)。しかし自然界においても予測不可能な隠された変数が存在するというのが量子の世界ではすでに一般的な考えになっているようですし。
人間の心理についても自分のことはすべて知り尽くしているという態度は少し傲慢な気がします。無意識は私たちが自覚している意識よりももっと深く広大なものだと思います。
話がだいぶ脱線しました。
とりあえず私が最近やりだしたのは占いの答え合わせもやってみるということです。
あの時私が信じた占いは当たってたのか。
結論としては結局自分の気持ちに関して言えば占いをしたことで後悔しない選択をできている気もするのでまあ許す。
しかし、将来予測的な側面に関して言えばほとんど当たってない気もします。そもそも世の中の占いコンテンツってあなた・あの人の気持ちみたいなあいまいなものに逃げ過ぎでは。結局、未来は誰にも分らないんですね。