僕の頭ん中

30代の心理担当職員のブログ。LGBTのGです。日々思ったことを書いてます。

水切りヨーグルトの副産物

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夏になるとアイスばっかり食べたくなっちゃうので気をつけないといけないですね。

 

というわけで何度目のチャレンジかわからないですが、水切りヨーグルトの製作にチャレンジ。

 

生クリーム食感で美味しいんです。

 

ただ一晩待たなきゃいけないので、だんだん使わなくなってしまったんですが、1時間でも作れるという重しつきのやつがAmazon で売ってたので購入しました。

 

あっという間に水切りヨーグルトできるので、これで前よりかは続きそうです。

 

最近知ったんですが、副産物としてはホエイというのができるんですが、これがラッシーになるということ。牛乳と混ぜて美味しくいただけます。これでジュースの飲み過ぎも対策できそうでありがたいですね。

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ただ、乳製品の取りすぎで時々お腹ゴロゴロするので、結局アイスもジュースも取るんですけどね。

 

奇跡的な軌跡

先週父が亡くなった。

 

今週の頭に葬儀が終わって一段落ついたので、自分自身のグリーフケアも兼ねて父との関係をいろいろと振り返っておく。

 

父はなくなる前からすでにがんに罹患しており、衰弱していた。呼びかけてもあまり返答もなくこちらからなにか声をかけたりということは殆どなくなっていた。

 

最後に会ったのはたらこスパゲッティをつくったからと母親に呼び出されて実家に行ったとき。父の好きな料理だったはずだが、ほとんど手を付けずいらないといって返していた。

 

父がなくなったときは母が近くにいたそうだが、息の詰まるような咳をして倒れてそのまま心肺停止状態になったとのこと。59歳という若さだった。

 

父は生前から酒にたばこもやる不摂生で病気をしてからもおそらくあまり控えていなかったので、早くなくなるのは当然という感覚もあり、連絡を受けたときはそんなにショックを受けなかった。中毒や依存症になっていたのかもしれない。個人的にはこのような依存症は自傷行為の一種であると思っているが、最後までやめられなかったのは私の接し方も含めて依存症が温存されるような環境的要因を作ってしまったからかもしれないと思っている。

 

高齢な人が生きるモチベーションの一つとして孫の顔を見たいという思いがあるらしい。私自身は同性愛者であり、子供を作る気もないのでその点では後ろめたい思いがあったけれども、なくなる2ヶ月前に甥が生まれて彼に出会えたことは良かったことだと思っている。父も孫が生まれるとわかってから積極的に放射線治療や断酒を行うようになっていた。その矢先に亡くなってしまったのは残念なことではあったが、最後に孫に出会えて良かったと思う。

 

私自身が父にしてあげられたことというのはそんなになかったと思う。

 

一時同居しようということになったが、母が気難しく困難に感じて断念した(うちは特に母が自身の感情を自分で処理できないため、子供がその役割を担わなければいけない機能不全家族だった)。とりあえず近居するという形にはなったが、ほとんど介入できずに終わった。

 

ちなみに父と言っても育ての父であって実は私とは血の繋がりがない。

 

私が4歳か5歳くらいのときに再婚した父である。私がよくわからなかったのは血の繋がりのない私達兄弟に実の子供のように接し育ててきたことだ。あとになってわかったことだが、実は父自身が養子であったようだ。祖父母も何故か私達に優しかった。

 

もうすでに祖父母も含めて亡くなってしまったが、彼らは自分に出会えて本当に幸せだったんだろうかと思ってしまう。こんなに早く亡くなってしまったのだから。

 

父がなくなってからはこのような罪悪感を抱くことのほうが多かったけれども、葬儀の際に飾り付けた写真を見て少し考えが変わった。

 

殆ど覚えていなかったけれども、やはり昔の写真は懐かしい。

 

そこに自身と父が写っていた。楽しそうな様子。

 

もしそんな瞬間が一瞬でもあったのなら多分父も自分も救われているのだと思う。

 

問題の多い家庭で成功した家庭だったとは思っていないけれども、それでもなんとかやってきたし、これで十分なんだと思う。

 

自分はまだ父がいなくなったこれからの長い人生を生きていかなければいけないので今は振り返らずに前に進んでいきたい。

自転車のかごを荷物の一時置き場に使ってみる

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皆さんの自転車にはかごが付いていますか?

 

スポーツ車だとあまりつけないという人も多いと思いますが、日常の足として使うなら絶対あったほうが便利だと思って私はつけてます。

 

そして、最近の活用法はかごにジムの着替えを入れっぱなしにしておくという方法です。

 

できれば仕事帰りに駅前のジムに寄りたいんですが、職場まで荷物を持っていくのは重いし面倒なので。

 

契約ロッカーとかもありますが、結局着替えは洗濯のため持ち帰りますからね。

 

カバーをつけて駐輪場に置きっぱなしにしておりますが、今のところトラブルはないです。

 

盗難の可能性がありますが、まあ取られても最悪あきらめが付く安いものです。

(おじさんの体操着を取るもの好きはあまりいない)

 

それにしても自宅以外に荷物を置けるというのは結構便利ですね。ハマってしまいそうです。

パソコン運用の編成を見直した

2年8ヶ月の間、毎日ガシガシと使い込んできた愛用のノートパソコンが、突然息を引き取りました。

 

前触れのない「突然死」にびっくり。電源ランプすら点灯しない。おそらくマザーボードの故障。仮に修理に出したとしても、基盤の交換となれば新品が買えるレベルの高額な修理費用を請求されることが目に見えていたため、今回は修理を見送り、新しいパソコン環境をイチから構築することにしました。

 

その前に悔しかったのでなぜ3年足らずで壊れてしまったのか、AI(Gemini)を相手に反省会をしました。

 

その結果、以下のような運用上の問題点が浮かび上がってきました。

パソコンを壊したかもしれない「3つの過酷な運用」

これまでの私の環境は、ノートパソコンにモバイルモニターをUSB Type-Cケーブル1本で接続したデュアルモニター運用でした。

 

これ自体は現代のスタンダードな使い方ですが、問題はその先でした。

ゲーム機(Switch)の巻き込み給電

モバイルモニターを使ってNintendo Switchを遊ぶ際、モニターの電源(電力)をノートパソコンのUSBポートから引き出していました。これはパソコンの電源回路に想定以上の「電力的な負荷」をかけ続けていた可能性が極めて高い。

テレビ代わりの動画つけっぱなし

作業中だけでなく、テレビ代わりに動画をずっと流しっぱなしにするなど、パソコンを常に高負荷・高熱の環境に置き去りにしていました。

故障リスクの想定甘さ

実は数年前に「デスクトップ+ノートPC」の2台運用をしていた時期がありました。しかし当時は、「2台に予算を分けるくらいなら、1台にリソースを集中してハイスペック機を買った方がいい」と、1台運用に戻してしまっていました。結果として、1台が壊れた瞬間にすべての作業がストップするというリスクを見落としていました。

サブ機にはChromebook

とりあえず急場をしのぐため、そして外への持ち出し用(サブ機)として、家電量販店で手頃な中古Chromebookを購入してきました。

ソフマップで中古購入。3年保証込みで3万9千円でした。



昨今はメモリの高騰でゲーミングPCやMacは高嶺の花ですが、ChromebookはそもそもOSが軽いため、大容量のメモリを必要としません。購入したのはメモリ8GBのモデルですが、驚くほどサクサクと動いてくれてます。

 

私が普段勤めている教育機関では、Chromebookは「ガチガチに制限がかかっている」「スペックがしょぼい」という理由で、よくゴミ端末の烙印を押されています。

 

しかし、個人的にはこの思想が好き。

 

「複雑な処理はクラウドや外部サーバーにお願いして、手元のハードウェアスペック(価格)は極限まで抑える」という運用は、現代においてかなり合理的な選択肢だと思ってます。

 

そして実はChromeブラウザが動けば、現代の仕事の9割は完結するんですよね。

 

しかし、Chromebookの最大の弱点は、「その残りの1割(Windowsでしかできないこと、重い処理)が絶対にできない」という点にあります。

Amazonで整備済み品のデスクトップPCを買った

残りの1割を補うため、自宅のメイン拠点用としてAmazonで「整備済み品のデスクトップ」を追加で購入しました。

 

 

今の時代、デスクトップパソコンをあえて選ぶ人は少ないかもしれません。しかし、デスクトップにはノートパソコンにはない圧倒的なアドバンテージがあります。

 

  • 優れた排熱処理: 筐体が大きくファンが強力なため、熱がこもりません。テレビ代わりに動画を回し続けてもビクともしないタフさがある。
  • パーツ交換によるリスク分散: ノートパソコンのように「一部分が壊れたから全体を取り替え(全損)」という悲劇が起きません。マザーボードやSSDなど、壊れたパーツだけを後から個別に交換・増設して延命できる。
  • 昨今のパーツ高騰の荒波を、型落ちながら現役でバリバリ動くビジネス用の整備済みデスクトップを選ぶことで、コストを抑えて回避。

いいとこ取りの「サステナブル編成」でボロスペックで10年戦おう

こうして私の新しいデスク環境は、図らずも「Chromebook ✕ 頑丈なWindowsデスクトップ」の2台体制へ回帰することになりました。

 

ハード面で見れば、最新のピカピカな高級ノート1台からダウングレードしたような印象。しかし、今回の編成は以下のようなメリットを網羅した「いいとこ取り」のシステムだと自負してます。

 

  • メモリ高騰の予算リスクを回避(Chromebookの手軽さ)
  • 故障時の全損リスクを排除(デスクトップの堅牢性とパーツ交換性)
  • 外では軽快に、家ではデュアルモニターでガッツリ作業(用途の最適化)

もちろん、今度はSwitchを遊ぶ時やモバイルモニターを使う時の電源はパソコンからではなく、コンセント(外部充電器)から直接取る配線に改めました。パソコン本体に無駄な電気の負荷はかけません。

 

壊れたことはショックでしたが、自分のIT環境やライフスタイルをロジカルに見直すきっかけになりました。

人生が出された料理だとしたら、味付けを決めるのは自分自身

今日、仕事中にふと頭に浮かんだ気の利いた比喩があったので共有します。

 

それは、「人生は、目の前に出された料理のようなものだ」ということ。

 

私たちは日々、様々な出来事に遭遇します。嬉しいこともあれば、理不尽に感じることも、失敗して落ち込むこともあります。

それはまるで、レストランで次々と運ばれてくるお皿のようです。厨房からどんな料理(=出来事)が運ばれてくるか、私たち自身で完全にコントロールすることはできません。

 

しかし、「その料理をどう味付けするか」は、自分次第で変えることができます。

美味しくない料理も、スパイス次第で変わる

例えば、あまり自分の好みではない、少し美味しくない料理が出されたとします。

 

出来事を変えられないのと同じで、その料理を別のものに取り替えることはできません。

 

でも、手元にある塩やソースを使って工夫すれば、それなりに美味しく、食べやすい一皿に変えることができます。これは、「辛い出来事や失敗も、自分なりの解釈や意味づけ(=味付け)を変えることで、前向きな経験に変えられる」ということに似ている気がします。

美味しい料理も、ソースのけかけすぎには要注意

その反対に、どんなに素晴らしい高級料理が出されても、「もっと美味しくしよう」とソースをドバドバとかけすぎてしまえば、本来の風味が消え、かえって美味しくなくなってしまいます。

 

これも私たちの日常によくあることです。せっかく良いことが起きたのに、「でも、次は失敗するかもしれない」「裏があるんじゃないか」と過剰な不安や深読み(=過剰なソース)を足してしまうと、せっかくの喜びが台無しになってしまうことがあります。

自分にとって「丁度いい塩梅」を見つける

どんな出来事が起こるかは選べなくても、それをどう解釈し、どう味わうかは、私たちの手元にある調味料次第です。

 

心理学的な視点から見ても、人の心は「何が起きたか」ではなく、「それをどう受け取ったか」によって大きな影響を受けると考えられています。起きてしまった出来事そのものを変えることはできなくても、解釈という名のスパイスをどう振りかけるかで、人生というコース料理の味わいは良くも悪くも変化するようです。

 

時には味付けに失敗してしまうこともあるかもしれませんが、それも一つの経験です。自分にとって一番心地よい、丁度いい塩梅の「解釈のレシピ」を、少しずつ見つけていけたらいいですよね。

買ってまた買い直したもの

去年に引っ越した時に結構色々なものを手放したんですが、結局また買い戻してます。


引っ越したからと言って、なかなかライフスタイルまでは変わらないもんですね。


なくてかなり不便でした。


ただし、今回は前回よりも上位のモデルに買い換えてます。


以下買い直したもの一覧です。


ホットクック

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前回は1 L ですが1.6 L にアップしてます。1L は使えないレシピもあったんですが、1.6以上は全てのレシピに対応してるみたいです。


1人暮らしでも作り置きできるので、1.6以上の方がやっぱ使いやすいですね。


ヘルシオ

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こちらも買い換えてます。前は5万円ぐらいのモデルでした。正直味はちょっと良くなってるかな?という程度。


センサーが良くなってるらしいです。


確かに2段調理ができるのは便利。


でもまだあんまり使いこなせてないです。


かなり癖強な家電の一つ。でもまかせて調理はSWITCHポンでめちゃくちゃ便利で美味しいです。


電動アシスト自転車

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今の物件の自転車置き場は雨の日に自転車が水浸しになってしまうので、アシスト自転車は諦めました。


ただし、坂道が多い地域なので少し遠出する土日などは折りたたみの電動アシスト自転車を購入して乗り回しています。


ハリークイーンのポータブル E バイクです。


赤い機体がかっこいい。


輪行もできそう。


でっかい冷蔵庫

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これだけ自炊派だと小さい冷蔵庫だと無理でした。


200L以上に買い替えです。


心の余裕も増えました。


以前は引っ越しの時に楽だからと思って90 Lのものを使ってましたが、冷蔵庫なんて、どうせ2人がかりじゃないと運べないですからね。


別にでかくていいんだっていうのが気づきです。


こんなことを繰り返してまた散財してますが、多少の失敗は仕方ないですね。前に進みます。

依存症は貧困に対する罰なのかもしれない

学生の時に読んだ本で確か、ドストエフスキーの「白痴」という本だった気がするのですが、極度の貧困っていうのはもう罰だよねみたいな話が書いてあってなるほどなと思ったことがあります。

 

特にSDGSな目標の一つとして貧困をなくそうという話も国連がしていますし、貧困というのは現代社会においては滅ぼすべき罪の一つの形なのかもしれません。

 

そして、ある意味選択的にこの罪と罰を負ってきたのがこの私です。

 

特に最近までそうでしたが、同年代の大卒の男性の平均的な所得よりかなり低かったのではないかという自負があります。

 

大学卒業後は非正規で障害者支援の仕事をしてました。

 

それからずっと福祉関係の仕事です。

 

残念ながら福祉の仕事は収入が低い。じゃあ、必要がない仕事なのかというとそういうわけではなく、需要はあり続けるのでなんとなく必要とされているんだなと自尊心が満たされて続けてしまう。

 

そしてそれが貧困のループでした(エッセンシャルワーカーの給与が低いのは本当に資本主義の欠陥だと思います)。

 

貧困の状態が長く続くとどうなるか。

 

資本主義において経済的弱者はさらなる搾取の対象になっていきます。

 

それが依存症の正体なんじゃないかと最近気づいてきました。

 

つまり、資本主義による時間や精神の搾取。

 

私は若い頃からずっとゲーム障害に悩まされてきて、1日中オンラインゲームをして過ごしたりして自己嫌悪に苦しんでました。

 

スマホやゲーム機を鍵付きの入れ物に入れたりもしたんですけど、じゃあその間何すればいいのという状況が発生してしまう。

 

人付き合いもいいほうじゃないし、やることなくてまたゲーム。そして自己嫌悪という感じ。

 

でもなんでこの状況を抜け出せなかったのかというと意志の弱さでなくただ私が貧しかったからなんだなと。

 

最近ちょっとお高いスポーツクラブに行き始めました。

 

ゲームってある種の脳の運動だとおもいますが、私の脳は運動したがってたんですね。それに気づいて通い始めました。

 

パッタリとゲーム障害もなくなりました。

 

(最近は安いジムもありますけど、渡しの場合なぜかそれじゃだめなんです。飽きるから。)

 

毎月数万円運動のために払えるようになってやっと依存症が克服できました。

 

依存症は資本主義が生み出した社会的な病理なのだなと実感した出来事でした。