僕の頭ん中

心理職30代ゲイの日常。障害者就労の現場で働いてます。雑記中心。他に読んだ本や映画、音楽の話。

だから僕は文学を辞めた

私は高校の時から文学に興味があって、でも音楽とかヴィジュアルアートも好きだったからオールジャンル学べる日芸のバッタもんみたいな関西の中堅私大に入学した。

 

勉強できなかったからAO入試で入った。うまく面接でハッタリかまして合格することができた。面接ではドストエフスキーはほとんど読んでるって言ったと思う(これはほんとだよ)。別に自分の高尚なセンスを見せつけたいとか、格の違いを見せたいとかいう動機で読んでたわけでなく、例えばカラマーゾフの兄弟に出てくる大審問官という小話があって私は母がカルト宗教の信者だから、でも人から信仰を奪うことはできないなと思っていたからそれに共感して読んでいただけ。

 

授業では小説を書いたり、文学作品や映画などについて皆さん喧々諤々とされていた。最初のうちはじぶんもそれが楽しかったけど、さすがに4年という月日を過ごしていると本当に自分がやりたいことは何なんだろうと悩み始めた。

 

まず、ここにいる人たちと明らかに自分の感性や価値観が異なるなと感じたのが多くの人が作品そのものが好きでそれを語っているというより、その作品の名前を出すことで自分をよりよく見せようという下心があってそれらの作品のことを口に出しているということ。彼らは現代では図書館で埃をかぶってだれも見向きもしないような思想家の著作を上げつらったり、「誰それ?」てなるアングラなアーティストの名前をおもむろに持ち出してくる。

 

そういう上滑りの知識を吹聴して悦に浸っているやつ(別にサブカルの世界以外にもいるけどね、よくわからない専門用語で話す人)の目的といったら自分の狭量さを他人に見破られないようにするためにそんな”高尚”な作品の名前を持ち出すということが本当の目的なのであって、実は全然その作品自体に愛着なんかないのである。

 

そういうやつらには作品が汚れるので二度と口に出すなと言ってやりたい。

 

もう少し補足すると私は人と何か好きな小説とか映画とか音楽の話になったときにその作品の中の何があなたのバイブスをぶち上げたんですかということを聞きたいし、実際に聞くようにしている。

 

そしてそれを語れない人とは関係を持つ価値がないと思ってる。そういう人たちが多い環境だなと感じたので私は大学3,4年くらいからは最低限の単位だけ取って卒業を目指す消極的な文系学生になっていた。

 

小説は何回か書いて人に見せたことがあるけど、数人にすごいとほめられたこともあるし、打っても響かないこともあった。小説を書いて稼いでいきたいという意欲も特になかったのでほとんど書かなくなってしまった。モチベーションが迷子である。

 

そもそも自分は何のためにこんなに本を読んでるんだろうと考えた。私が学生時代に出した結論としては知識を得て自分の葛藤を解決したかったからということである。これは今も変わらない。

 

葛藤を解決するということが目的なのであればもっと職業的な選択として現実的なものがあるはず。そう思い至って臨床心理士の資格を取るために学部卒業後は心理学科の大学院をめざすことにした。

 

あと私の中ですべての葛藤を終わらせたある書籍に出会ったのでそこで私の文学的探究も終わった。ただこの話は個人的興味すぎるきらいがあるのでそのうち機会があれば話したい。

 

これが私が筆を折った理由なんですが、ぼんやりとまた書き始めたいという思いもあるんですよね。金を稼ぎたいとか有名になりたいとかいった理由じゃなくてもっと真善美とか美しいものに対する憧憬や愛の表現としてそれをやりたいという感じ。

 

ただそうなってくるとなかなか腰が上がらんのです。毎月の支払いもあるし。