夢は比較的覚醒度の高いレム睡眠の周期で見ることが多いといわれている。
レム睡眠の目的は長期記憶の定着や作動記憶のクリーンアップでメンタルヘルスの維持に役立っているとされる。
時々、現実ではありえないようなトラウマチックな夢を見たりすることがあるけれどこれらはこの夢のようなことが現実に起こったときに対処できるようにするため、脳が事前にデモンストレーションをしているのではないかとも考えられている。
そういう意味では夢とは無意識からの警告であると考えた精神分析家の指摘は正しいと思う。
一方、仏教徒はそのような考えに1000年以上前から思い至っており、無意識のことを阿頼耶識と呼んで明晰夢を見ることで無意識を操作し、悟りに至れると考えた。
ただ、明晰夢を見ることは難しい。
オカルトな界隈で以前「私が見た未来」という漫画が話題になった。
作品の絵表紙で東日本大震災が起こる日付を言い当てていたというもの(漫画の内容自体は予知夢をテーマにしているが、そこで具体的に言及されるわけではない)。
正直これについては合理的な説明ができない。ほとんどの場合理由を後付けでこじつけていると考えられるけれども、睡眠中というのは意識の変性状態みたいなものだから覚醒時にない特殊能力が目覚めるということもあるのかもしれない。
顔のないキリスト
このような公の場所で書くのは本当はばかられるんですが、実際にあったことなので書く。私は人生の特定の周期でとても神聖な夢をみることがある。よく見るのは大体荒唐無稽なものや恐ろしい夢なのに、今日の朝に限ってそんな夢を突然見たので朝5時過ぎに飛び起きた。
昨日はまた調子が悪くてギリギリで何とか仕事をこなして帰宅後はずっと横になっていた。何とか気晴らししようとしたけど続かずどうしても立ち直れなかった。
なんでこんなに調子が悪いのか本当は思い当たるところがあった。
正直に白状するけれども最近数分に一回SNSやネットを確認している状態になっていて完全にSNS依存状態に陥っていた。
デジタルデトックスを理由にことごとくアプリやSNSを鍵垢にしたり、消したりした。自分の生活への勝手な侵入者を許したくないという思いがあったのだと思うけれども、本当に自分が必要としていた人間関係も排除してしまったような気がしてそれで気が滅入った。
ここ数年の私は個人的な幸福の追求というのを自分の生活に必要なものとして受け入れてきた。一方、それは本当は間違いでもっと人とつながって感じたことを分かち合ったり、助け合ったりすることが本当の幸福につながるんじゃないかということにぼんやり気づいてきた。
つまり自分の幸福追求のやり方が間違っていたことを認めたくなくて、さらに他者とつながることに対する恐れがあってでもつながりたいという思いがあって今の行動が矛盾しているから、ここまで自分を精神的に追い詰めたのだと昨晩やっと気がついた。
そこまで考えが至ってやっと穏やかに入眠することができた。
その時見た夢。私はほとんど死人のように倒れていたけれどだれかが手を差し伸べる夢だった。私はこれまでその手を拒んでいたけれども耐え切れなくなって手を伸ばすとその人に抱きかかえられた。その人は顔がよく見えないけれども確かにキリスト(救世主)だった。という夢。
書いていて思い出したけれどもこの顔のないキリストの夢をこれまでにも何回か見た気がする(ちなみに私は別にクリスチャンじゃない)。
キリストというのは特定の個人を指しているのではなくて、もっと周りの人を信頼して有機的につながることでその人たちが自分を救ってくれる存在になるということなんだと思う。多分。
終わり
ここまでぐだぐだ書いてまだ何か言語化しきれていない恐怖心があると感じる。そのせいで今また不安な気持ちがぶり返しつつある。周りの人々に何かを分かち合っても自分の手持ちをなくすだけで結局期待していたようなものは得られないんじゃないか。
前に掟の前での話をブログに書いたけど期待していることが裏切られる、そんな絶望感がまだあります。こんな矛盾した感情を抱えて生きるのは本当に生きづらいです。とりあえず今日もしばらく横になって過ごします。