人生がしょーもない、サイテーな方に向かいつつある時はカフカを読むことにしてる。
失恋ソングに浸っちゃうときあるじゃないですか。あんな感じで。
カフカの中でも掟の前ではとても好きな寓話。
フランツ・カフカ Franz Kafka 大久保ゆう訳 道理の前で VOR DEM GESETZ
掟の門は
- 今入ってもいいと言えない
- 誰にでも開かれている
- 先々に最強の門番がいる
という門
男は門の前で待つことに決めた。入っても良いと言われる日が来るのを待って。
しかし、その日は来なかった。今際の際で男は門番に尋ねる。万人が掟を求めるはずなのになぜ誰も来ないのかと。門番は扉はお前のためだけに用意されたものだったと告げ、門を閉める。
この扉一体なんだったのだろうと読み手は考えます。
でもここは直観で。これはきっと男にとっての願い、あるいはキリスト教的な救済を約束する真理に違いない。そして何かを信じたことがある人はきっと裏切られたという経験もしてきたはず。
小説家として成功するかもしれない。待ち続けている好きな人にまた会えるかもしれない。どれも裏切られた。でも最後の瞬間までわからないじゃないか。自分の努力が足りないんじゃないか。もう少し待ち続けてみよう。こうなってくると最後の瞬間まで答えは分からない。
いつか来るはずという楽園を待ち続ける人の末路。
門は死によって閉ざされる。
こんな結果が自分の人生にも待っているんじゃないか。絶望的ですね。最後の最後に私達が見るものは何なんだろう。